陰陽師と徳川時代と発展

人間にもバイオリズムのような運勢の盛衰があります。これがない人はいないだろうということですが、運が良い時もあれば運が悪い時もあり、これは人生だけではなく歴史でも言えるようですが、国家の盛衰などもその中に入ります。そして陰陽師もそうで、豊臣秀吉の弾圧で、ほぼ崩壊してしまった陰陽師ですが、その後徳川時代に入り、徳川家康の日光東照宮の建立などでも活用されて、復活することになります。一度没落したものが復活するということは歴史的にもあまりないのですが、その点非常にしぶとく生き残ることができる運の強さは、さすがに占いの元祖といえるかもしれません。またそうでなければ、生き残りは難しかったでしょう。そのことも歴史の皮肉ということになります。そしてその後も発展して今に至るということですが、歴史的にも面白い存在です。

陰陽師のスタイルとエンターテインメント性

人間というものは見た目で人を判断するということが、8割あるといわれていますが、占いのような職業の場合にも非常に重要になります。例えば水晶占いなどでは、異国の雰囲気を鑑定所に作って、幻想的な世界の中で占ったりします。そうすると何となく占いが当たるような、信頼できるようなイメージを持ちます。そのようなことは陰陽師でも利用していて、特に平安時代の職業でありますから、その雅なイメージを最大限に生かすことがポイントになります。またそれをすることができるというのも、占いの中ではメリットのひとつです。占いの場合には実際に占いで当てるということもありますが、それよりも精神的にリラックスして、安定するというストレスの緩和作用のほうが大きな効果があるのではないかということになります。それが陰陽師のイメージの中にあるのですから、これを利用しない手はないとなります。

陰陽師と徳川時代と宗家

陰陽道でも宗家があり、それが阿部家である土御門家ですが、この土御門家は、独自の神道を創始し、土御門神道という流派を起こしています。本来陰陽道と神道は全く違うものですが、陰陽道の宗家としての地位を確立した阿部家である土御門家は、それだけでは時代に添えないということで、独自の神道と陰陽道を融合した新しい宗教を起こしたような感じです。その点も非常に時代に敏感で、進歩的で革新的な体質も見られますが、それが今の陰陽道になっているということになります。また陰陽道でも実際には阿部家だけではなく、数多くの陰陽家が日本中に存在しているというのも面白いですが、今でも有名な家系もありますが、そのすべてを統括しているのが土御門家だったということです。しかし明治維新で、陰陽師自体がなくなったということで、庇護者を失い民間に入り込みながら今に至るという歴史があります。

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