陰陽師の貴族と武家との関係

陰陽師の歴史を見てみると、発展した時代は貴族や権力者が貴族を重視した時代で、武家が権力を握った時代には、凋落したりしています。また陰陽師の二大名家のうちの賀茂家は断絶したりしていますが、阿部家はその後土御門家になり、中級貴族から上級貴族で生き残ることに成功し、従二位まで上り詰めるという大成功した家系になっています。その最盛期は足利義満の時代で、この人も武家ですが、日本で天皇に成ろうとした3人のうちのひとりということで、貴族の頂点に立とうとした人ですから、非常に貴族的な人でもあったということになります。そのように陰陽師も貴族化していく過程で生き残ることができたということで、平和な時代に伸びていく職業ということにもなります。戦乱期では、それどころではないということもありますが、特徴が良く出ている歴史でもあります。

陰陽師と徳川時代と活用理由

陰陽師の徳川時代の活用された理由は、民間の情報統制にあったということが言われていますが、民衆をすべて仏教の檀家にして統制したと同じように、陰陽師を利用して、情報統制をしておくということが行われたようです。そこが徳川幕府の政治のうまいところで、阿部家と賀茂家両家を再び尊重して、その方面からの国家の安定の補助的な役割を担わせたということになります。特に阿部家は非常にうまく立ち回り、賀茂家を出し抜いて、その後に陰陽師の宗家ということで、幕末まで非常に発展した家系になっていったということで、今では土御門家になっていますが、非常に生き抜くことがうまい家系でもあります。阿部の清明はもともとは賀茂家の弟子だった人ですが、主家を飛び越えてトップに立ったということでも、非常に優秀な人たちが続いたということでもあります。その点も面白い歴史です。

陰陽師と徳川時代と変容

陰陽師が今の時代のような占いの中心になってきたのは、徳川時代のようでようで、陰陽五行説を中心とした祭祀や占いから、全面的に神道の方法を導入した変革が行われたようです。やはり時代に合わせての変化がうまかったということですが、この陰陽師の、特に阿部家の系統は、短い人生の盛衰ではなく、歴史的な家系の生き残りの戦略としても非常に優れていたということは間違いないということになります。家系の繁栄も短い世代で終わってしまい、長くても100年とか200年ぐらいで絶えたりしてしまうのに、この阿部家は非常に長い間生き残ってきたということで、日本屈指の生き残りの勝者ということになります。これはなかなかできることではないということは、世の中の家系がどのくらい続いているかを見ればわかります。その意味でも時代によって生き方を変化させてきたということは、もう少し見直しても良いかもしれません。