陰陽師の科学から占いへの変遷

もともと平安時代の最先端科学が陰陽師であったということは間違いないのですが、これがいつごろからか、占いのほうに向かってしまったということになり、それは民衆化したというメリットもあったということになります。例えば今の地方の方言は、昔は京都の標準語で貴族などが使っていた言葉だったそうで、それが長い年月のうちに地方に広がり、方言になったという話もありました。同じように陰陽道もとにかく歴史が長いので、他の占いとはレベルが違うということですが、同じように最初は最先端の科学でも民衆化して行く過程で今に至っているということになります。それは歴史的にもひとつの法則のようなものですが、それが科学から占いへの変化の理由のひとつになります。その他百済の滅亡で、避難民が多く押し寄せた関係で、専門家も増えてしまい、仕事としての希薄化があったということもあるようです。

陰陽師と理論的な分析

もともと陰陽師とは官吏であり、科学者であったので、当時の最先端の科学である陰陽五行説をもとに天文や歴などを分析して、当時の科学的な考え方で、吉凶禍福を判断していたということですが、それがいつの間にか、占いの専門家という方向に向かってしまったということになります。ですので普通の占い師とは一線を画するのが陰陽師ということになります。ですので当然ですが、今でもその伝統も受け継いでいるということで、占いなどの判定でも、さまざまな分析もその中に含めながら鑑定などもしているということになります。その点も選ぶということでは、単なる占いなのか、分析をしているのかということで、観察してみると案外わかったりします。もともとが最先端の科学者の職業だったので、その点では、なかなか奥が深い占いの世界を持っているということが言えます。

陰陽師の弾圧と民衆化

あまり知られていない歴史的事実ですが、陰陽師を弾圧した権力者が日本にはいて、それが逆に陰陽師の民衆化に貢献したということですから、非常に皮肉な現象ですが、しかし歴史的にはよくあることです。権力者に庇護されていれば、民衆化などはしなくても生きていけるのですが、弾圧されていくと生きていくために民衆に広めなければ食べていけないとなり、そのようになっていったということになります。その弾圧者は有名な豊臣秀吉で、理由は豊臣秀吉に自害させられた秀次の祈祷を請け負ったからということですが、たぶんその延長線上で、弾圧に至ったということなのでしょう。そうなると今までの立場では生きていけないので、権力者ではない方、民衆のほうに仕事を探して生きていくしかなかったということになります。そこが陰陽師の欠点ということで、権力次第の運命だったとも言えます。