陰陽師と明治時代の歴史

陰陽道が非常に長い歴史を通じで生き残ってきたということは、驚異的な歴史的事実ですが、その隆盛も明治維新に転換されて、明治政府の方針から、すべての土御門家の陰陽師の宗家としての権威がはく奪されることになりました。それまで歴史的な変遷でも、非常にうまく立ち回り、頂点達した阿部家でしたが、明治新政府の西洋化政策の前には、うまく立ち回れなかったのみならず、反対勢力としての立場に立ってしまうという、大失敗をして、すべてを失ったということになります。今では陰陽師を統括する家も組織も存在しないということで、今に至りますが、土御門家の陰陽道は平安時代からの伝統的な陰陽道ではなく、神道というほうが正しいような状態になって今に至っています。ですので陰陽道の内容は正式なものはすたれているといっても良い状態かもしれません。いずれにしてもさすがの阿部家でも、明治維新の流れには乗れなかったということになります。

陰陽師とインターネットの利用

陰陽師は歴史が千数百年もある古い占いということですが、実際のイメージは平安貴族などのイメージを羽織りながら、今も生きている占いとして、実績を誇っているということになり、非常に歴史の生き方がうまい、生き残りの名人のような占いですが、常に各時代に一定の理解者や援助者があったということが言えますし、貴族社会でのステイタスということもあったのではないかとも考えられます。そしてその性格は今も生きていて、今ではインターネットを利用しながら、占いに分野でも活躍しているということですが、理論的にもしっかりしたものがあるので、普通のあやふやな占いよりは信頼できるということになります。またインターネットの利用では、昔からの伝統的なデータがたくさんあるので、それを前面に出して利用しやすいということがあります。これも非常に有利な条件になります。

陰陽師とそのほかの教理の吸収

陰陽師は平安時代の先進国である中国から、その基礎を学んだ非常に古い歴史のある占いですが、本来は陰陽五行説だけから、天文や歴の内容などを参考にして、国家の祭事などを司ったのですが、その先進国である当時の中国で政治が乱れて、遣唐使などが廃止されたので、その後独自の陰陽道の道を行くことになりました。例えば泰山府君祭などは道教の行事ですし、祝詞などは神道系の内容になります。日本人はひとつに固執するのは苦手なようで、良いものはすべて導入すればよいではないかという、非常に合理的な考え方がしみついているのが特徴のようで、それは最近のことではなく、日本の長い歴史の中でも、そのように特徴がよく見られるということになっています。陰陽道もその中で変化していき、今に至るということですが、そのように他の教理も吸収しながら、発展してきたということになります。